新政酒造 鵜養の5月
5月某日。
冷たかった北風は
優しい温度を帯び
辺り一帯の新緑をゆらゆらと揺らす。
遅咲きの八重桜は
季節の変わりを名残惜しみながら
その花びらを散らしていた。
秋田県鵜養地区。
新政酒造が農業部門を立ち上げ、
自社田米作りの取り組みを始めた場所は
いよいよ田植えの時期を迎えました。
以前訪れたときには
かたく閉ざした表情だったあぜ道も
柔らかく草を生やし、のびのびとしています。
新政酒造の杜氏をつとめ、
新政酒造の哲学をお酒として体現していた古関さん。
今は農業部門の核となり
日々米作りに奮闘され、新政酒造のお酒の原料となる酒米を作っています。
前回お会いした時と変わらずのハッキリとした笑い声に私の緊張もほぐれます。
「最高の天気」
とはこのことを言うのではないかと思うほど、
清々しく晴れたこの日。
前回訪れたときには土だけだった苗トレーには
若く力強い苗たちが、誇らしげに植えられるのを順番待ちしています。
今回植えるのは美山錦だそう。
グワングワングワン
水を張ってキラキラと太陽の光を反射している田んぼに
田植機が降りる。
「田んぼの水をさわってごらん、あったかいから」
そう言われて
田んぼに張ってある水に手をつけると、なるほどぬるい。
続けて田んぼ横をしゃらしゃらと流れる用水路に手をつけると
想像してたよりも水は冷たく手が冷えた。
なんでも、水温の低い地域では田植え前に田んぼに水を張って日光で温度を上げてから田植えするのだそう。
冷水で植えてしまうと、根の発達や養分吸収が阻害され、育ちが悪くなってしまうのだそうだ。
昔の人たちの経験からの知恵はしっかりと現代に受け継がれている。
田植機が苗を植えていく。
古関さんはその1苗1苗を感慨深く眺める。
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「実は、これ全部田んぼに埋まっていたんです」
案内してしてもらったのは
田んぼの奥を流れている川の川っぷち。
生い茂る草の合間合間に積まれている、白いゴロゴロとした石たち。
石ころと呼ぶには大きいサイズ。
「田んぼ掘り起こして1つ1つ拾って、ここに集積したんです」
これらの石が田んぼに埋まっていたことも
1つ1つ拾い集めたことも
疑う気は無いが、にわかに信じがたい。
石は私が両腕を輪っかにしたぐらいの大きさのものがゴロゴロあるし、
量だって、川べりを補強するためにわざわざ集めたとしか思えない量。
1枚の荒れていた田んぼを
田植えできる状態にするまで
どれだけ大変か。
そして鵜養地区には、
牧草地となってしまっている
復田の必要のある田んぼが
まだまだたくさん存在している。
「復田するってこういうことなんです」
そう話す古関さん。
先ほど私の目に映っていた田植えからは
想像することのできない
苦労と、覚悟が、
その言葉には感じられた。
思い返すと、
前回私たちが訪れたとき、
田んぼには草がぼうぼうに生え、ぼこぼことした荒れた土地でしかなかった。
写真で見るとその差は一目瞭然。
その荒れた土地が、人の手によってしっかりと田んぼとして息を吹き返し始めていた。
鵜養地区は
昔ながらの結(ゆい)が残る地区でもあります。
1人で行うには、多大な費用や期間、労力がかかる作業を、
集落の人間総出で助け合い協力して行う。
現代社会において必要性が薄くなり
消えつつある結の制度。(隣人の素性や顔すら知らないのが当たり前になってきている)
この古き良き助け合いの精神がこの村には残っており
古関さんが田んぼの石を拾っていると
1人、また1人と、地域住民たちが手を貸してくれる。
みんなで石を拾い、田を復元させていったのだ。
この田んぼに稲がたわわに実り
そのお米を使ったお酒が出来たとき
この地域の人たちの飲むその1杯は、
きっと私が味わうことのできない
格別な美味しさであるに違いない。
地域の人が、
このストーリーに関わることで
地元を誇りに思い
元気になっていく。
その輪が少しずつ確実に大きくなっているのを
実感した田植えでした。
夕方5時。
田植えを終えた田んぼは初々しく、
苗たちはまだどこか落ち着かないような様子。
これから少しずつ根を張り、茎を、葉を増やしぐんぐんと伸びていく。
健やかな苗の成長を願い
鵜養をあとにするのでした。
橋本さき